ぼくたちの骨:樫崎茜著のレビューです。
感想
不格好なチーターの剥製との出合いから
「剥製」という漢字、あらためて見てゾクッとする。剥製ってこんな感じで作るのだろうなぁーと漠然と想像していたけど、この本を読むと「あーまさに動物の皮を剥いじゃっているのね」と、作業工程からぼんやりした想像から明確なものに・・・。
剥製って目の前にあると、なんとも言えない緊張感が走る。かつて海外の博物館で大量の剥製の展示品を目の前にしてクラクラした経験がある。品数が多く、臭いも厳しいものがあり、ゆっくり鑑賞するなんて余裕もなく、はやく出たいとそればかり。
また、あの乾いた表情のない動物たちを見つめられるとなんだか落ち着かなくなりその場から逃げたくなる。・・・となんで、しょっぱなから剥製の話をしているのかと言うと、本書は動物の剥製の話なのです。
「えー骨の話じゃなかったの?」と、言いたくなるのはさておき・・・・。主人公の千里は、陸上部員であるが、足を痛めてしまい、仕方なく活動を休んでいる。そんな千里を新聞部に所属している春人が、取材に行くので一緒に動物園に行かないかと誘う。
そこで彼らは不格好な肥満体のチーターの剥製と出合う。このチーターは一体なんでこんな姿に・・・。
千里の中で自分の姿とチーターの姿が重なり、なんとかしてあげたいという気持ちが彼女の中で大きくなってゆく。
千里はやがて兼部と言う形で新聞部に所属し、剥製の修復作業の追跡取材を始める。死体と年中かかわっている人の話を聞くうちに複雑な思いに駆られる千里。部活動、博物館、動物園、剥製、このあたりの話題を中心に話が展開してゆく。
生きた動物、剥製となった動物それぞれの役割りを考える
特に博物館と動物園の関係など、興味深い話が多いのだが、全体的にあっさりした描き方なので、もっと知りたいなーという、高まる気持ちの持って行き場がないのが少々残念。
もう一歩踏み込んでもらえたら・・・・と思う反面、青春小説的な読み方をすればこの程度でいいのかなーとも思ったのですが・・・・。
生きている動物がいる動物園。
死んだ動物がいる博物館。
それぞれの役割をもって存在する動物たちから、私たちは生きていることを感じる。
そんなことを考えさせられる1冊であった。