ヤモリ、カエル、シジミチョウ:江國香織著のレビューです。
異なるふたつの世界を行ったり来たりしながら・・・
読み物でありながら視・聴覚が研ぎ澄まされてゆくような
ちょっと変わった読み心地の小説。
日常生活から少しだけコースを外れて、
身近にいる小さな生き物たちの世界に入り込んでゆく。
言葉が遅い幼稚園児の拓人は、ヤモリやカエルや虫などの
気持ちが解り、会話が出来るという自分だけの独特な
世界を持つ子供。
そんな弟のことが大好きで、出かけるときはいつも一緒の
しっかり者である姉の育実。
ふたりの両親はひんやりした関係。
父親は何日も家を空け、女の人と平気で過ごしてはたまに
帰ってくる。
母親は父親の浮気を知っているが、いつも言葉を呑みこみ、
鬱々とした生活を送っている。
そんな不穏な空気に満ちている家族の生活と、拓人が見せてくれる
もうひとつの無垢な世界が相まって不思議な小説のリズムが
作り出される。
平仮名が流れ出すページから見える拓人の世界
構成として面白いな~と思ったのは、小説内で拓人のことが
書かれている箇所は、ほぼ平仮名で書かれている点だ。
絶え間なくページいっぱいに流れ出す平仮名、平仮名、
平仮名・・・。
拓人の視覚や聴覚や思考が次々と目の前に現れ、あたかも自分が
拓人の脳内に入り込んだような・・・そんな不思議な
感覚を体験しました。
家族をはじめ、ご近所、ピアノの先生一家など、登場する大人たちの
ドロンとした感情や事情が無数の雑音となって拓人の耳に
入って来る。
それらは「言葉」と言うよりふわふわ空を舞っている「音」
といったものに感じられる。
言葉を極端に発することが少ない拓人が捉えている「言葉」とは、
こんな風に伝わって来るのか・・・ということが、私たちにも
解ってくるのです。
最初はこの平仮名のページが読みにくく戸惑った。
しかし、いつしか私にとって拓人の世界は、まるで大人たちの
汚れた感情を遮断するちょっとしたシェルターのような場所に
なっていた気がする。
言葉を発さなくとも意思の疎通ができる拓人と
小さな生きものたちの世界。
言葉を重ねても意思の疎通ができない大人たちの世界。
ふたつの異なる場面を行ったり来たりしながら、
少しずつ大人たちの状況も変化を見せるがこの小説に終わりはない。
結論を具体的に求めたらいけない小説のようにも思える。
拓人をナビゲーターに自然のなかへ、虫たちの世界へと入り込む。
そんなちょっと変わった空気が流れる空間は、やはり江國さんの
作品そのものなのだなーと感じずにはいられません。
江國さんの作品の書評は難しい。
書きながら自分は何が言いたいのか・・・たびたび迷子になった。