小春日和(インディアン・サマー) :金井美恵子著のレビューです。
とにかく「。(句点)」が圧倒的に少ない
「お勝手太平記」で溢れ出る言葉の嵐の中に巻き込まれ、
ただただ圧倒されて読了したのはつい最近のこと。
とにかくもう1冊と、気持ちを新たに選んだのが「小春日和」。
設定からして「のほほん」としているし、これならゆるく楽しめそうと考え、読み始めてみた。しかも4部作とのことで、うまく行けば今後のおたのしみも増えるわけで。
さて・・・この読みはどうなるか?
東京の大学に進学が決まった桃子が、小説家の叔母のマンションに居候するということから話は始まる。
ストーリー性が特にあるというわけではなく、ただただその日の出来事を書き綴ったような内容なので、退屈といえば退屈とそのものなんだけど、小説家の叔母をはじめ、桃子の両親、特に同性の愛人をもつ父親、友人の花子の存在など、登場する人物たちのユニークさにこの小説の面白さがある。そして、話の合間に叔母の「小説」を組み込むことによって独特なムードを醸し出す。
大学生の桃子の目を通して見る社会や家族模様等、その年代ならでは感性を覗きながら淡々と時を過ごす。はじめはさほど感じなかったのですが、後半に進むほど金井さんの文体の迫力にやられてしまう。
とにかく「。(句点)」が圧倒的に少ない。
1ページに1個とか普通にある。これに慣れるまで本当に苦労した。
「息継ぎさせてください」、「センテンス長すぎて、一体なんの話だったっけ?」と、立ち止まっては困惑。
この「金井節」に慣れて、乗り切れるかどうかがひとつの「鍵」だと思う。わたしはまだまだなんだけど、ここでギブアップという選択はしません(笑)
大量に押し寄せる言葉の波に飲み込まれつつも、なんだか離れたくないものが金井さんの作品にはある。なんだろう、それって・・・・。
なにかすごく気合を入れなきゃ読めない本のような書き方をしてしまったが、決してそんなことはなく、登場人物はいたってダラダラしているのです(笑)
唯一文章がめまぐるしいということを除けば、だらしない格好で寝転がって読んでいても、誰にも注意されないような雰囲気があり、自由で暢気な時間を共有するにはもって来いの小説とも言えるのだから。
さて、2部へ向かおう。
読み手として少しは成長ができるだろうか・・・。