今はちょっと、ついていないだけ:伊吹有喜著のレビューです。
中年男性たちの人生の「継ぎ目」の時期を描く
今はちょっと、ついてないだけ。
今の自分を認めたくない、ここを乗り越えればなんとかなるという自分を奮い立たせるとも言えるこの言葉。小説ではこの言葉がどんな意味を持つのだろうか。
タイトルに呼応するように小説の最後に【追伸】として残した主人公の言葉が、これまでの出来事を優しく包み込む。
人生はいつだっていいことばかりが続くとは限らない。
昨年まで順調だった仕事が、翌年いとも簡単に失うという事態が発生することは、もはやこの国では日常的に起こっている事実だ。
この小説は職を失った中年男性たちの人生のいわば「継ぎ目」の時期を描いたもの。なかなかハードな局面であるものの、彼らにはあまり切迫感もなく、少しずつ繋がってゆく他人と築く世界を愉しみ、何事にも縛られることなく、ちょっと学生時代に戻ったような陽気さがある。
立花浩樹は世界の秘境を旅するテレビ番組で一躍脚光を浴びた、「ネイチャリング・フォトグラファー」。バブル崩壊ですべてを失い、事務所から負わされた借金返済のために昼夜働き通しの生活を続けようやく完済。40代に突入していた彼はすでに目標も
見出せず覇気のない人生を送っていた。
そんななか、母親の友人に写真を撮ってほしいといいう依頼を受け久しぶりにカメラを手にした浩樹。彼の中のスイッチが押されたかのように再び止まっていた時間が動き出す。
上京し、シェアハウスに暮らし、そこで同じくどこか道を踏み外したような人々に出合い、少しずつ彼らは歩き始める。
そう、ここにいるのは「今はちょっと、ついていないだけ」な人たちなのだ。
言葉通り、彼らの生活は停滞中なわけだけど、結構みんな大らかというかギスギスした雰囲気がない。
従来なら「大丈夫か?」と思ってしまうところだけど、なんでだろう、一見お気楽そうな人々からは、必ず復活するだろうというオーラが漂っているのだ。
中年の転落ぶりを描いた作品だとどうしても悲壮感が付き纏うものだけれど、本作ではある意味「なるようになる」というカラッとした雰囲気のなかで、人々が少しずつ再生してゆく姿が見られ力強い。
「今はちょっと、ついていないだけ」
こう呟くだけでもだいぶ気持ちが楽になる。
この言葉には必ず歩き出せるという力が込められている魔法のような言葉であることに気づかされる。そして、この言葉に呼応した浩樹が残した最後の言葉は何度も読んでも嬉しくなる。